江戸時代の文政12年(1829年)、川崎屋清吉が現在の愛知県豊橋市下地町で「川崎屋」を創業しました。当時のビジネスモデルは、日本酒の名産地である灘や伏見などから舟で運ばれる酒を、三河地方の消費者に馬車などで届けるというものでした。
明治16年(1883年)、川崎屋は「川清商店」に改称します。この頃、清酒の取扱いが増えていきました。現在において当社が特約となっている蔵元の多くは、当時から今日に至るまで、長くお付き合いいただいています。
明治時代に入ると、国内でビールや洋酒が製造されるようになりました。川清商店でも、明治21年(1888年)に大日本麦酒株式会社(アサヒビールやサッポロビールの前身)のビールの販売を開始します。今日において、大手メーカーのビールは業務用の主力商品となっています。
昭和4年(1929年)には法人化し、「株式会社川清商店」となります。社屋自体も、豊橋市花田町の豊橋駅前に移転しました。
順風満帆に見えた川清商店でしたが、戦争が経営に暗い影を落とします。戦争が始まると、多くの社員が召集されることになります。また、戦争に伴う企業整備によって、卸売が可能な商品は麦酒・雑酒・みりんのみとなってしまいました。さらに、豊橋空襲により、一部の倉庫を除き、社屋全てを焼失してしまいます。川清商店は、残存倉庫で小売として再起を図りました。
社員が結束することで創業以来最大の試練を乗り越え、昭和41年(1966年)には現本社である社屋が完成します。昭和47年には、静岡県浜松市に、有限会社浜松川清商店(現浜松事業所)を設立しました。昭和56年(1981年)には、日本名門酒会の三河支部となります。酒類消費量の伸びに伴って、川清商店も拡大し、愛知の三河地方を中心とした地盤を築きました。
平成元年(1989年)にはサンクス東海株式会社(現・株式会社KSコーポレーション)を設立します。サンクス東海がフランチャイズ・システムによって統制するコンビニエンスストアに対し、川清商店が酒類を納品することで販路を拡大しました。
時は流れて現在、酒類業界は危機に直面しています。酒類の消費量はここ数十年のあいだ減少傾向にあります。さらに追い打ちをかけるように、新型コロナウイルスの流行に伴い、酒類業界は大きな打撃を受けました。
しかし私たちは、時代の変化に甘んじるつもりはありません。長い歴史の中で幾度となく逆境を乗り越えてきたように、これからも素晴らしいお酒を届け続けることが川清商店の使命です。その思いは、メーカーも問屋も、酒販店も飲食店も同じだと思います。当社だけでなく、酒類業界が一丸となって、「相依共生」で酒文化を継承していく、そんな未来を見据えて、歴史の新たなステージへ足を踏み入れていきます。